大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和50年(行ウ)20号 判決 1979年3月29日

原告

金泰慶

外四名

原告ら訴訟代理人

北林博

被告

法務大臣

古井喜実

被告

大阪入国管理事務所

主任審査官

田野井優

被告ら指定代理人

高須要子

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら

(一)  被告大阪入国管理事務所主任審査官が、昭和五〇年四月二三日付で原告金勝彦をのぞくそのほかの原告ら(以下甲事件原告という)に対してした退去強制令書発付処分、昭和五一年八月二三日付で原告金勝彦に対してした退去強制令書発付処分をいずれも取消す。

(二)  被告法務大臣が、昭和五〇年三月一一日付で甲事件原告らに対してした裁決、昭和五一年七月三〇日付で原告金勝彦に対してした裁決をいずれも取消す。

(三)  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決。

二  被告ら

主文同旨の判決。

第二  当事者の主張

一  本件請求の原因事実

(一)  原告金泰慶

(1) 同原告は、昭和五年五月四日、大阪市港区境川町で、父訴外金尚虞、母訴外高孝奉の子として出生し、昭和一二年四月大阪市南市岡小学校に入学し、昭和一八年三月同小学校を卒業したのち、同年四月守口市の帝国商業専修学校に入学し、昭和二一年三月同校を卒業した。

同原告は、昭和二一年四月、母とともに済州島に帰国し、済州中学に入学し、同校を卒業した後、済州市にあるヨンへ大学法学部に入学したが、二年で退学した。

同原告は、済州島で母と共に農業を営んでいたが、昭和二八年訴外康貞順と婚姻し、二人の間に六人の子を儲けた。

同原告は、昭和四一年四月七日神戸に密入国し、直ちに大阪にきて、泉大津市内や大阪市内でミシン工として稼働し、その後、大阪市生野区田島町三丁目五六番地、同区大瀬町一丁目四五番地で縫製業を営み、昭和四七年四月ころから、肩書住所地に転住し、そこで、ミシン縫製工として稼働している。

同原告は、昭和四四年九月一〇日原告李成日と同棲して今日に至つている。

(2) 原告金泰慶が、密入国をしたのは、済州島での妻康貞順と夫婦生活が破綻し、昭和四〇年ころからは別居生活をしていたので、これを清算し、長年住みなれ、知人、友人の多い大阪市で再起をはかりたかつたからである。

同原告は、目下康貞順との間で離婚訴訟中であるが、韓国にある妻子の生活費として年間平均金三〇万円を定期的に送金している。なお、長女はソウルの大学に通学中である。

同原告は肩書住所地の土地、建物(評価額金九〇〇万円、時価二、五〇〇万円相当)を購入して登記をすませ、ここで青木縫製所という名前で、皮ジヤンパー縫製業を営んでおり、昭和五〇年度分までの所得税は納入ずみである。

(二)  原告李成日

(1) 同原告は、昭和一二年九月八日、長崎県下郡豊玉村小網で、父訴外李龍権、母訴外崔壬生の子として出生し、昭和一九年四月豊玉村大網小学校に入学した。

同原告は、昭和二〇年父母と済州島に帰国し、そこで農業手伝、海女などをしていたが、昭和三五年中に結婚し一女を儲けた。

同原告は、昭和四四年四月大阪に密入国し、原告金泰慶方に女工として住み込んだ。

同原告は、同年九月一〇日原告金泰慶と同棲して今日に至つている。

(2) 同原告は、済州島で結婚した夫に先立たれ、一子を抱えて困惑した。そこで、同原告は、韓国の因習により一子を死亡した夫の実家に戻し、日本にいる親類や知人をたよつて日本にきたものである。

同原告は、原告金泰慶と同棲後は、これを助け、家庭の主婦として平穏な生活を営んでいる。

(三)  その他の原告

原告金成は、昭和四六年五月二七日、同金勲は、昭和四七年一一月九日、同金勝彦は昭和五一年一月二一日、父原告金泰慶、母原告李成日の子としていずれも大阪市内で出生し、その後、父母と一緒に生活をしている。

(四)  本件退去強制の手続の経緯

大阪入国管理事務所審査官は原告金泰慶、同李成日が出入国管理令(以下単に令という)二四条一号に、その余の原告らが同条七号に該当するとの認定をして告知をし、同所特別審査官は原告らの口頭審理の請求に対し右認定は誤まりがないとの判定をした。原告らは右判定に対し異議の申出をしたところ、被告法務大臣(以下被告大臣という)は異議の申出が理由がないとの裁決をして、原告らに通知した。被告大阪入国管理事務所主任審査官(以下被告審査官という)は原告らに退去強制令書を発布した。

以上の各手続のされた年月日は、別表に記載のとおりである。<以下、事実省略>

理由

一当事者間に争いがない事実

(一)  本件請求の原因事実中、(一)の(1)、(二)の(1)、(三)、(四)の各事実は当事者間に争いがない。

二そうすると、原告金泰慶は昭和四一年四月、同李成日は昭和四四年四月、いずれも日本に密入国したものであるから、令二四条一号に該当することは明白である。

同原告らは昭和四四年九月大阪市で同棲し、その間に原告金成、同金勲、同金勝彦を儲けたのであるから、子である原告金成以下三名は令二四条七号の不法残留者であることも明白である。

そのうえ、原告らが、協定一条によつて永住権を与えられる者に該当しないことはいうまでもない。

三本件裁決の違法性について

(一)  原告らは、被告大臣が本件裁決をする際、原告らに対し、在留特別許可を与えなかつたことが、被告大臣の裁量権の濫用ないし逸脱であつて違法であると主張しているので判断する。

(二)  法務大臣が令五〇条による在留特別許可を異議申出をした者に与えるかどうかは、法務大臣の広い自由裁量に属する。そのわけは、外国人の入国又は在留の許否は、条約などで特別の取決めのない限り、当該国家が自由にきめることのできる事柄に属するからである。したがつて、法務大臣は、令五〇条の許否をきめるに当り、国際情勢、外交政策などを考慮し、行政上の便宜ないし目的的見地から恩恵的措置としてその自由裁量の範囲内できめれば足りる。もつとも、この自由裁量の範囲は広いものであるといつても無制限ではなく、その裁量が甚しく人道に反するとか、著しく正義の観念にもとるといつた例外的な場合には、自由裁量権の濫用ないし逸脱があつたものとして取消しの対象になると解するのが相当である。

そこで、この視点に立つて、被告大臣がした本件裁決つまり原告らに在留特別許可を与えなかつたことが前述した例外的な場合に該当するといえるかどうかについて判断する。

(三)  原告金泰慶に関する事情

本件請求の原因事実中(一)の(1)の事実は当事者間に争いがなく、(一)の(2)の事実は、<証拠>によつて認められ、この認定に反する証拠はない。ただし、同原告所有の肩書住所地の土地、建物の価値の点をのぞく。

(四)  原告李成日に関する事情

本件請求の原因事実中(二)の(1)の事実は当事者間に争いがなく、(二)の(2)の事実は、<証拠>によつて認められ、この認定に反する証拠はない。

なお、右認定に供した証拠や、証人村瀬実善、同村瀬千枝子の各証言によると、同原告が、父母と韓国に帰国したのは、昭和二〇年八月ころのことで、その目的は祖父の墓参にあつたが、日本国が敗戦を迎えたため、同原告は、日本に戻ることができなくなつたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

(五)  結び

原告金泰慶は、日本で生まれて育ち一七才まで日本に居住していたこと、原告李成日は、日本で生まれて育ち七才まで日本に居住していたこと、原告金泰慶は日本に密入国してから発覚するまでの約九年間、原告李成日は同様約六年間それぞれ日本で生活し、同棲してからはそのほかの原告らを子として儲けたこと、原告らは、日本で平穏な家庭生活を営み、経済的にも安定していること、原告らは、日本語を理解し、日本で生活することを希望していることなどは、原告らに在留特別許可を与えるについて有利な事情である。

しかし、他方、原告金泰慶には、韓国に妻と六人の子があり、妻との離婚ができていないこと、同原告は密入国まで二〇年も韓国で生活していたこと、原告李成日にも韓国に亡夫との間に一子があること、同原告は密入国まで二四年も韓国で生活していたこと、同原告らには、皮ジヤンパー縫製の技術があること、そのほかの原告らは、いずれも一〇才未満の韓国人であるから、韓国で韓国人としての教育を受けた方が適当ではないかと考えられることなどは、原告らに在留特別許可を与えるについて不利な事情である。

このような本件に顕われた諸般の事情をかれこれ検討したとき、被告大臣が、原告らに在留特別許可を与えなかつたことが、甚しく人道に反し、著しく正義の観念にもとるとまでは到底断ずることができないから、結局被告大臣には、原告らが主張するような裁量権の濫用や逸脱があつたとするわけにはいかない。

四結論

以上の次第で、被告大臣の本件裁決には原告らが主張するような違法はないし、本件裁決を受けてされた被告審査官の退去強制令書発付処分にも違法はない。

そこで、原告らの本件請求を失当として棄却し、訴訟費用の負担について敗訴者の負担とすることとして主文のとおり判決する。

(古崎慶長 井関正裕 西尾進)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例